古代布葛布 大井川葛布作品展   平成15年7月29日〜8月12日

静岡県金谷町で大井川葛布を主宰する村井龍彦・良子夫妻の作品展です。

自然の生命力を手織る ~葛布の変遷~
 葛布の起源はどこにあるのだろうか。
古代日本では、人々は身近にある植物の蔓や茎等から繊維を取り出し、それを編んだり織ったりすることによって布を作った。葛布もそんな布の一つであると思われる。
 最近になって発掘された古墳時代前期の太宰府菖蒲ヶ浦一号墳から、目の粗い(織り密度は{8〜9}×{6〜7})葛布をその表に一面に付着した方格規矩鏡が出ている。経緯共葛であった。
 さらに歴史を遡れば、中国では墨子、論語、貴族の礼法を説いた「禮記」に夏の衣料として葛布が記述されている。
 養老律令には葛布を皇太子の色である黄丹に染めたとされる。官位十二階の上五階までは葛布の染め方が載っているが、下七階には載っていない。興味深いことである。
 万葉集には葛布にまつわる和歌が数首見られる。葛が衣服としてかなり用いられていたことが知れる。 当時葛布は貴族の間では喪服や袴に用いられ、特に「けまり」の時には葛布で作った指貫(さしぬき~裾を紐でくくるようになっている袴)が用いられ、これは江戸時代まで続いたようである。
 江戸時代、葛布は軽くて通気性が良く、また武士の好んだ直線が出せるところから、袴、裃、陣羽織、乗馬用袴等に用いられた。このころには遠州(静岡県西部)掛川の特産品として葛布が有名になっていたようだ。
 しかし、明治維新後、武士の消滅と共に葛布の衣料としての需要は激減し、新たに襖・壁紙等の分野へと活路を見いだすことになる。葛布の襖は耐久年数が長いだけでなく、使い込むほど飴色の美しい艶が出てくることで今でも根強い人気がある。
  このように葛布はその起こりから長い間衣料として用いられて来たが、明治維新後その用途は大きく変化した。

 
葛布の特徴
 葛は日本全土に自生する蔓性、豆科の植物で河川の土手や線路脇などに多く見られる。春先に新芽を伸ばし、夏の間すさまじい勢いで繁茂する。根は極めて強く、ここから葛粉や漢方の葛根湯を得る。初秋に藤に似た赤紫の花をつける。この花は秋の七草の一つでもある。
 この葛から繊維を取り出し緯糸にし、縦糸に綿、絹、麻などを用い、織りあげたのが葛布である。
 葛布ほど素のままの自然が織り込まれる織物は他に無いであろう。靱皮より取り出した繊維は、良く洗いきれなかった皮の部分が残って、所所黒い斑を現す。また手で裂いて糸にするため、太さが均一ではなく、剛直でもある。このような糸の特性ゆえ、葛布には巧まざる縞模様やファジイな透明感が出現する。また、年月を経るごとに糸が飴色に変化していく。この美しさは、人間の造形と言うより、葛自身がそうなりたい姿なのだと言わざるを得ない。
 葛糸は、全く撚りをかけないテープ状である。繊維の平面に光りが当たって反射する事により不思議な光沢が生まれる。従って葛機は繊維の平を出すためにおさが回転するようになっている。おさを斜め前方に倒してすっと引き寄せるようにして手前に持ってくる。透け感を生かしたい時は、あまり強くおさを打ち込まない。強度を殺してゴージャスな光沢を楽しむという、葛布ならではの織り方である。

 
葛布作りの行程
 1. 生蔓を採る
6月から8月にかけ、その年新しくのびた蔓で、2〜3mくらいになったものの根本に鎌を入れて採る。女性の小指ぐらいのの太さで、緑色、表面に産毛が生えた物が良い。日陰から日向を求めて真っ直ぐにのびた物が望ましい。木に絡んだり、枝分かれしすぎている物は良くない。葉は蔓の根本から先に向かってこき下ろし、葉柄は残す。採取した蔦の根本をまとめて縛り、束を丸くリースのような輪にして縛る。
2. 生葛を煮る
 生葛を採取してから煮るまではあまり時間をおかない方が良い。すぐ煮れない場合は葛束を水に漬けておく。これは日光と乾燥を防ぐためである。葛束が十分入る大きさの釜(当社はドラム缶使用)に水を8分目入れ、沸騰させる。葛束を入れて時々上下を返しながら20分くらい煮る。途中葛は枝豆をゆでたような匂いと鮮やかな緑色を呈す。次に黄変し出すのでこのころ釜からあげ、すぐに水につける。川の清流が望ましいが、家庭で行う場合は水道水でも良い。
3. 室に寝かせる
ススキなど色素の出にくい草を刈って河原に敷き、その上に葛束を並べる。葛束の上、周りを厚くススキの葉などで覆う。さらに菰をかぶせ、石で重しをする。。4〜5日して手を入れ、葛の表面がぬるぬるして容易にはがれることを確かめて、室から起こす。
毎日発酵状況を確かめて良い。発酵が良いと大して臭くない。
4.丸洗い
 川の流れで発酵した葛の表皮を洗い落とす。黒い斑が残らないよう十分洗う。葛束を解き、根元から30cm位の所を片手で持ち、もう一方の手で元の外皮をはがして靱皮も良く洗う。靱皮と木質部の間に「わた」が有れば、それも良く落とす。残ると葛糸の品質を悪くする。
5. 袋抜き
 葛蔓を一筋、元を摘み下方へ向かってしごくと靱皮が木質部と離れる。片手で靱皮を押さえながら片手で木質部を引き抜く。靱皮は蓑虫状に手に残る。靱皮の先を摘んで引き延ばし、親指と小指で千鳥にかけ手がなにする。この時。葛の元と先を混ぜないようにする。
6. 苧洗い
 手がなを解いて水に流し、頭部から尾部に向かって振り濯ぎながら洗う。きれいになった部分から手がなにし、靱皮が幾条にも割れないように注意する。
7. 苧の乾燥
石河原の上に葛苧を広げて干す。生乾きの時、元から先に向かってしごいて縮を防ぎ、苧と苧を良く振って離れさせる。 
8. 葛つぐり
 葛苧を巾1〜2mm位に裂いて元と先の部分同士を機結びでつなぐ。これは一本の葛糸に必ず根から先端へと方向性をもたせるためである。結ぶときは糸の端を唾液でぬらしながら行う。結び目の端から出た余分は、鋏で切る。結んだ糸は、おけあるいは新聞紙などのうえに輪をかくように重ねる。このとき一番下の糸端(元)が分かるように少しおけから出しておく。苧おけが一杯になったらそっと裏返し、別のおけまたは新聞紙などの上に移す。大豆や小石などを入れ、糸が絡まないようにする。この葛糸をつぐり棒と呼ばれる丸いはし状の棒に8の字をかくように巻いていく。若いキュウリくらいの大きさになったところで止め、3ケ所を横に止め巻きして終わる。
9. 製織
 葛布はほとんどが平織りで、用途に応じて縦糸はシルク、麻、綿等を用いる。杼は葛専用のもので、そこがある舟形をしているのが特徴である。この杼に水につけ固く絞ったつぐりをいれて機にかける。おさは斜めに倒し、軽く寄せるだけであるが、トントンとたたくよりも技術を要する。葛糸は激しい操作を嫌うので、動力にかからず、昔から手機で織られる。織り終わったら機からはずし、しけとりというひげを取る作業を行う。その後、砧打ちを施し練りと照りを出す。

21世紀の葛布

 葛布には本来2種類ある。太宰府の遺跡出土の葛布と同じく、経緯糸が、撚りをかけた葛で作られ、昭和中頃まで九州唐津市佐志、鹿児島県下甑島で織られていたもの。もう一つは静岡県掛川地区で昔から織られている、経糸に木綿、絹などを使い、緯糸に葛の白い靭皮を細かく裂いて作った平糸を使った光沢のある交織品である。後者が私たちがつくっている葛布である。
 では、いつ頃から交織になったのだろうか。なぜ撚りをかけるのをやめたのか。撚りをかけない糸は強度で劣るが、葛布はその光沢を発揮するためにあえて繊維そのままで使ったのではないか。あたかも室町時代、生の魚を刺身料理まで昇華させた日本人の文化がここに見いだせるような気がする。とすれば、今の葛布は原始布ではなく高度な美の概念が作り出した布なのではないのか。そう考えると壁紙として欧米で絶賛されたことが理解できるような気がする。
 今もっとも力を注いでいるのは身にまとうということである。もともと古代から衣服として作られてきた布だから、今の世にも通じる着方が必ずあるはず。葛は底光りするような光沢が命である。スポットライトを当てるとキラキラ輝く。
 肌に当てると堅いが気持ち良い。水分を含むと強度が増し、柔らかくなるし、すぐ乾く。また、繊維の剛直さゆえに布には一定の方向性がある。このような布の特性が最も美しく出せる形とは何なのか。「葛布よ、あなたは何だったのか。あなたは何になりたがっているのか」と、葛に問いかけながら試行錯誤する毎日である。

 今、試織しているのが、針裂き葛布という江戸時代につくられた極上の葛布である。文献によると、この葛糸は針の先で裂いた極めて細かい物で、織りあがった物はこれが葛布かと思えるほどしなやかで光沢があったという。今年中には是非織り上げたいと思っている。
 先日、染色家の日下登美子氏の協力を得、栗や枇杷、アメリカセンダンソウ等季節の身の回りにある自然で染色を試み、それをストールに仕立ててみた。仕上げに砧打ちを施すと思いもよらない練りと光沢が生まれる。直線が生かせるのですとーんと首から下げてコートを羽織れば、若い女性にも向く都会的な線が出せる。また、広げて肩全体に回し、ドレープを取りながらまとめればエレガントな装いにもなる。
 葛布の可能性を広げるため今後も多くの作家達とコラボレーションをしたり、また布の提供もしてゆきたいと思っている。

 葛布はゴージャスでエレガントな布である。直線も曲線も出せるし、独特のはりとしなやかさがある古くて新しい素材である。そしてその光沢は世界を魅了するに違いない。
こんな葛の美しさもはかなさも全て抱きしめて21世紀に生きる布作りをしていきたい。     大井川葛布 村井龍彦氏